「知識」と「教養」は全くの別物。
- 2019/03/30
- 00:51
英語教育の理想形をあれこれ考えていたら、このテーマが根本だなと気付いた。
人見知りなかぶらですが、人間観察は大好きです。
人との交流は基本好きです。
今まで直接交流のあった人たちを思い返してみて、思ったのがコレ。
「知識と教養って別モノだな?」と。
世に言う「すごくカシコイ」人、いっぱい見てきました。
でもねえ…
「この人、マジおもんネエ…」
そういうタイプも何人かいる@@;
「どんな事が好きなのか」
「どんな趣味を持っているのか」
「その趣味の醍醐味は」
その人となりを知りたいと思うとき、かぶらはこういう事がまず一番知りたいのだけど…そして多分世界共通だと思うのだけど。
一言の返答だけでもうそこから一切広がらない人は正直ツマラナイ((´・ω・`;))
これといって趣味がなくても、こちらにいろいろ尋ねてくれたら話が広がって交流を楽しめるのだけど@@;。
風土の影響からか「ムラ社会の和を守ることが最善」という暗黙のルールがこの国では浸透していて?)、自分の考えを表現することよりも同調を優先っていう風潮が未だに根強い。
でも知らない者同士の溝を埋めるには「私はこういう者である」という表現をしなきゃ始まらない。
国際的にしっかり交流できる人間作りをしたいのなら、根本はまずココなんじゃない??
自分を表現する訓練。
知識は「道具」だ。
道具ばかり使えて中身を感じられない人に魅力はあるのか?
では教養とは?
長くなりそうなので、また近々アップしやす。
